霊山歴史館
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  トップページ / 歴史館ニュース /NEWS-2011.8.30-17ressi
  十七烈士の墓の設計絵図が注目集める
 
 

霊山歴史館で初公開中

 天王山(京都府大山崎町)の中腹にある十七烈士の墓は「禁門の変」(1864年)で敗れて自害した真木和泉守ら17人の志士が眠る墓として有名。建立当初は別の場所にあったことはわかっていたものの詳細な資料は不明でしたが、このほどその実態を示す資料が霊山歴史館で明らかになり話題を呼んでいます。
 昨年、郷土史家から寄贈を受けた墓の絵図「天王山招魂場絵図」(縦24.5センチ・横33センチ=右の写真は部分)によると、墓は山の中腹ではなく、麓(ふもと)の宝積寺の塔の下に描かれていることがわかりました。この絵図は霊山歴史館の夏の企画展で初公開されて注目を集め、8月29日付け京都新聞の1面に大きく報じられました。開催中の秋の展覧会でも引き続き公開されています。
 十七烈士は禁門の変で別働隊として長州側に加勢した久留米や熊本出身の尊皇攘夷派の志士17人。幕府側連合軍との戦いに敗れて敗走するなか、先に長州兵を逃がして天王山に立てこもり自刃しました。
 墓は長州藩主だった毛利敬親が明治元年に建立し、その後現在の場所に移されたとされています。絵図は塔の下に「17名」と記した縦長の墓、両端には石灯籠、さらに敷地内に松の文字も記されています。
霊山歴史館の木村幸比古学芸課長は、「長州藩から依頼を受けた石材屋が描いた下書きと思われる。長州側が恩に報いるために一人一人を手厚く葬った証し」と分析しています。

 
 京都新聞8月29日の1面記事
 
 現在の大山崎町天王山中腹にある十七烈士の墓
   
 宝積寺三重塔 
 
 
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