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  2013年通年特別展「会津の武士道 第3期 戊辰戦争」見どころ
   西郷隆盛書状や佐川官兵衛備忘録など。初公開資料も多数
 
 2013年通年特別展「会津の武士道 第3期 戊辰戦争」では、慶応4年(1868)1月鳥羽伏見の戦いで戦端が開かれた戊辰戦争を多くの資料で紹介しています。
 京都守護職を務めた会津藩は、幕府軍の主力として戦いますが、新政府軍は8月、会津藩鶴ヶ城下に侵入。藩主・松平容保は藩士とその家族ともども籠城戦に持ち込みます。
 新島八重は、鳥羽伏見の戦いで戦死した弟・三郎の装束で男装し、スペンサー銃で奮戦しますが、ひと月後の9月22日、会津藩はついに降伏、開城しました。
 会津藩は、藩主の命は保ったものの、領地は召し上げられ、斗南藩に転封されました。藩士たちはその地で塗炭の苦しみをなめることになります。
 今回の展示では、「斗南藩知事嘆願書」、会津戦争で活躍した佐川官兵衛の「備忘録」(いずれも初公開)など会津藩の戊辰戦争関連資料や、西郷隆盛書状、越後奥羽戦争記(初公開)、函館五稜郭奮戦之図など豊富な資料を紹介しています。
 その見どころの一部を紹介します。
ご来館のうえ、ぜひ実物をご覧ください。
 会津白虎隊(石版画)                      霊山歴史館蔵  
  慶応4年8月23日、白虎隊士中二番隊の20士は、戦火をくぐり抜け飯盛山に達しました。そこから鶴ヶ城を見れば、城下で起きた大火災があたかも城が焼け落ちているように見え、これまでと全員が自刃しましたが、飯沼貞吉がただ一人一命をとりとめました。「一死君国に殉ずるまさにこの秋にあり。一同ひざまづきて鶴ヶ城を拝して屠腹して死す」と書かれています。
 秋月悌次郎詩書  増田恒男氏蔵  【初公開】斗南藩知事嘆願書草案
    会津藩士・秋月悌次郎が会津戦争での敗北で苦汁をなめる日々の心境を詠ったもの。 
 「行くに輿なく帰るに家なし 国破れて孤城雀鴉乱る(中略)愁いは胸臆に満ちて涙は巾を沾す 風は浙瀝として雲は惨憺たり 何れの地に君を置き又親を置かん」
 秋月は藩主・容保の側近となり、公武合体を推進。「八月十八日の政変」でも活躍。会津戦争では、戦火をかいくぐり米沢藩を通じて、板垣退助と開城交渉を行いました。明治2年(1869)終身禁固刑となるも、同5年特赦で赦免されました。その後、東京大学予備門教諭、第五高等学校教授(熊本)などを歴任。若者の教育に後半生をささげました。明治33年(1900年)没。行年75歳。

 
会津戦争の敗戦後、会津23万石は召上げられ、代わりに下北半島の斗南に3万石が与えられました。「斗南」は漢詩の「北斗以南皆帝州」からとったもの。藩士とその家族17000人が新封土へ移住しましたが、生活は困窮を極め、明治3年(1870)斗南藩知事・松平容大(かたはる、容保の子)は、明治新政府に援助を求め嘆願書を送りました。末尾に「斗南藩知事」と記されています。                 (霊山歴史館蔵)
 【初公開】佐川官兵衛備忘録

 会津藩家老として会津戦争で活躍した佐川官兵衛は槍の名人として知られていますが、この備忘録は会津藩が採用していた長沼流兵学を自分なりに纏めたものと思われます。官兵衛は、明治10年(1877)西南戦争に政府軍警視隊として参戦。勇猛に戦いますが戦死しました。行年47歳。     (霊山歴史館蔵)
 西郷隆盛 書状 西郷頼母宛                 霊山歴史館蔵
   会津藩家老・西郷頼母が、西郷隆盛に当てた書状にたいする隆盛の返書。諸説ありますが、会津藩主処分の寛大な措置を嘆願した書状と思われます。隆盛は、事態が進展したなかでは処分方針は変わらず「天命と定むるより外無御座候」と返答しています。西郷隆盛と西郷頼母は遠い縁戚で、このような書状の往還があったと思われます。
 戊辰戦争絵巻     霊山歴史館蔵 【初公開】越後奥羽戦争記 増田恒男氏蔵
 
  明治16年(1883)、戊辰戦争の史実が風化していくなかで後世に残すために、元・公卿、薩長藩士らが監修して制作を開始。6年の歳月を費やして明治22年に完成。原画を宮中に献上し、天覧に供しました。兵士の服装や隊列、軍旗などが詳細に描かれています。     戊辰戦争の越後や奥羽での戦争を描いたもので、数の少ない希少本。会津戦争も描かれています。
 著者・出版者は坂田善吉で、明治12年に出版されました。
 函館五稜郭奮戦之図                           霊山歴史館蔵
 
 箱館(函館)戦争を描いた数少ない錦絵のひとつ。鈴木年英画。中央の馬上の人物が榎本武揚、その後ろが松平太郎、右端が土方歳三と思われます。
 
 
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