霊山歴史館
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  トップページ / 歴史館ニュース / NEWS-2014.1.12-fukusimaminpo
    「斗南藩知事嘆願書草案」 福島民報で大きく掲載
     会津藩士と家族、移住の地での窮状を訴える
 
   霊山歴史館が所蔵する「斗南藩知事嘆願書草案」が、福島民報で紹介されました。
 会津藩は、会津戦争敗戦後23万石を召上げられ、代わりに下北半島に3万石の地を与えられました。その地を漢詩の「北斗以南皆帝州」からとって「斗南(となみ)藩」と名付け、藩士と家族17000人が移住しましたが、慣れない地での生活は困窮を極めました。
 「嘆願書草案」は、明治3年に藩知事・松平容大(かたはる、容保の子)名で、明治新政府に援助を求めたものです。
 記事では、「幕末や明治維新を専門とする京都市の霊山歴史館が昨年発見した。(中略)差出人の斗南藩知事は松平容保公の長男で当時一歳の容大(かたはる)。代わりに指揮を執っていた山川浩が作らせたものとみている(後略)」などどと紹介しています(下写真)。山川浩は、会津藩家老として京都守護職の藩主松平容保を補佐し、会津戦争でも果敢に戦いましたが敗戦。斗南藩大参事(副知事)となり、藩士の生活向上のために奮闘しました。明治10年の西南戦争では陸軍中佐として活躍。その後東京高等師範学校校長、貴族院議員を歴任し、明治31年(1898)死去。行年52歳。維新までは、山川大蔵(おおくら)と称しまsた。
 「斗南藩知事嘆願書草案」は、開催中の新春特別展「続・会津の武士道」で公開しています。ぜひ、ご覧ください。


 
 
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