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  2014年新春特別展~新島八重再び~「続・会津の武士道」見どころ
   新島八重篤志看護婦資料や小笠原長行肖像画など。初公開資料も多数
 
 2014年新春特別展~新島八重再び~「続・会津の武士道」は、昨年一年間にわたって開催し、好評をいただいた「会津の武士道」の総集編として開催しています。
 注目を集めた新島八重関連の資料や、会津藩主・松平容保の直筆和歌、孝明天皇御宸筆(直筆の書)などに加え、初公開を含む新たな資料も豊富に展示しています。その見どころの一部を紹介します。
 昨年見逃した方や改めて全体像をつかみたい方にうってつけの展覧会。龍馬や新選組の資料も豊富に展示していますので、幕末ファンの方にも楽しんでいただけます。
 この機会にご来館のうえ、ぜひ実物をご覧ください。

 新島八重篤志看護婦資料                   霊山歴史館蔵  
 会津戦争で籠城戦を戦い、会津藩降伏後兄の山本覚馬を頼って京都にたどりついた新島八重は、縁あって新島襄と結婚。同志社英学校(後の同志社大学)設立・運営に夫とともに尽力します。そのさなか、新島襄は明治23年(1890)1月心臓病のため急逝しました。
 襄の死から間もない明治23年4月、八重は日本赤十字社の正会員となり、明治27年(1894)の日清戦争では、広島の陸軍予備病院で篤志看護婦として従軍。傷病者の看護だけでなく、看護婦の地位向上にも努めました(上図版 明治29年に発刊された日清戦争「日本赤十字看護婦病室二於ケル治療ノ實況」図版-霊山歴史館蔵)。その時の功績が認められ、明治29年皇族以外の女性では初めて勲七等宝冠章を授与されました。
 明治37年(1904)の日露戦争時にも大阪の陸軍予備病院で篤志看護婦として従軍。その功績によって勲六等宝冠章が授与されました。

 昭和7年(1932)、幕末、明治、大正、昭和を力強く生き抜いた新島八重は86歳で波乱の人生を閉じました。葬儀は同志社大学葬として行われ、約4千人が参列しました。墓は、京都市若王子山にある同志社墓地にあり、夫・新島襄、兄・覚馬とともに葬られています。
    
 「明治二十七,二十八年役(日清戦争)広島陸軍予備病院衛生業務報告」(霊山歴史館蔵)左ページ矢印に八重の名前が記載されています(記載名は新島八重子)。
 孝明天皇愛用御所人形  【初公開】御国分武鑑
  御所人形は胡粉(ごふん)塗りで、幼児をかたどっています。江戸期に朝廷から諸大名へ贈答品として使われました。写真の人形は、孝明天皇が愛用されたもので、あどけなさの中にも、気品があふれています。高さ約13㎝。(霊山歴史館蔵)  武鑑は、大名の名前、官位、石高、家紋、旗指物などをまとめたもので、江戸期に多く刊行されました。写真は慶応4年(1868・明治元年)に刊行されたもの。戊辰戦争で朝敵となった会津藩、桑名藩などが黒く塗りつぶされています。出版者は出雲寺文次郎。(霊山歴史館蔵)
  【初公開】小笠原長行 肖像画                 霊山歴史館蔵
 肥前国唐津藩主・小笠原長行(ながみち)は、文政5年(1822)、唐津藩主の長男として生まれました。第14代将軍・徳川家茂、15代・徳川慶喜の時代に老中、外国事務総裁などを務め、攘夷、開国の激論が交わされる中で、「生麦事件」の賠償金10万ポンドをイギリスに支払うなど、外国との折衝、江戸と京都の調整など困難な役回りを担いました。
 慶応4年(1868)戊辰戦争が起こると、徹底抗戦を主張し、会津戦争、箱館戦争まで戦いますが、敗戦におわり、姿をくらませました。明治5年、東京で新政府に出頭し捕縛されますが、のちに恩赦を受けました。その後は、新政府出仕要請も断り、明治24年(1891)死去しました。行年69歳。辞世の句は「夢よ夢 夢てふ夢は夢の夢 浮世は夢の夢ならぬ夢」。
  東軍戦死者霊名簿(写)                      霊山歴史館蔵
 
  明治30年(1897)京都伏見の御香宮神社に戊辰戦争東軍戦死者慰霊碑建設の際に奉納されたもの。鳥羽伏見の戦いで戦死した旧幕府軍、新選組の283名が記されています。新島八重の弟・山本三郎の名前も見ることができます(左写真・矢印)。
  箱館五凌閣の降伏                        霊山歴史館蔵
 
 五稜郭が「五凌閣」になっており、架空の降伏式の様子が描かれています。中央に、いるはずのない西郷吉之助(隆盛)が立ち、右後方に戦死したはずの土方年三(歳三)が描かれています。実際の政府軍総指揮官は、陸軍参謀の黒田清隆でした。作者は松月保誠(明治10年制作)とあります。
 
 
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