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      2017年春の特別展「幕末志士群像 新収蔵品展」 見どころ
        維新のさきがけとなった名もなき志士たちの詩書を初公開 
 
 木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通など維新を成し遂げた著名な志士のかげで、命をかけて維新のさきがけとなった多くの志士たちがいます。2017年春の特別展「幕末志士群像 新収蔵品展」では、そうした志士たちの詩書を初公開しています。その一部を紹介します。ぜひ実物をご覧ください。

  【初公開】藤本鉄石 詩書

藤本鉄石は岡山藩出身の書画家で尊王攘夷の志士。吉村寅太郎(土佐脱藩)、松本奎堂(刈谷脱藩)とともに天誅組三総裁のひとり。
文久3年(1863)8月13日に孝明天皇大和行幸の詔が発せられると、天皇親政をかかげて幕府天領の大和国で挙兵。17日に五条代官所を焼き払いました(天誅組の変)。しかし京都では「八月十八日の政変」が起こり、尊王攘夷派公家や長州藩は京都から追放され、大和行幸は中止となりました。天誅組も討伐の対象となり幕府軍の攻撃をうけて壊滅。藤本は8月25日に戦死しました。享年47歳。

詩書は、鉄石が得意とする菊の絵の自画賛。厳しい環境でも凛と咲く菊と自分の境遇をなぞらえています。
  【初公開】松本奎堂 詩書

松本奎堂(けいどう)は三河国刈谷藩士で、尊王攘夷の志士。江戸の昌平坂学問所で学んだ秀才。尊王の志を持って脱藩し、私塾を開いて尊攘志士と交わりました。天誅組三総裁のひとりとして大和国で挙兵するも、幕府に鎮圧され、戦死しました。享年33歳。

詩書は、朱竹の自画賛。月光中で静かにきらめく竹のさまを読んでいます。
  【初公開】平野国臣 詩書

平野国臣は福岡藩士で、尊王攘夷の志士。文久2年(1862)島津久光の挙兵上京を倒幕に転用しようとしましたが、寺田屋騒動で挫折し、投獄されました。出獄後、三条実美や真木和泉守らと大和行幸を画策しますが、八月十八日の政変で中止となりました。
天誅組壊滅後、文久3年(1863)10月生野の変を起こしましたが、鎮圧され、京都の六角獄舎に収監されました。元治元年(1864)7月に起こった禁門の変のどさくさのなかで、不当に処刑されました。享年37歳。
天誅組の変と生野の変は、維新のさきがけとして評価されています。

詩書は「碩人家在桃家岸」。碩人(せきじん)とは、立派な人格の人のこと。唐詩をふまえて、立派な人はここにいるとうたったものか。
【初公開】田中河内介 詩書

田中河内介は公家・中山家の青侍(あおさむらい=公家に仕える侍)で、尊王攘夷派の志士。儒学者、漢学者で、中山忠光(天誅組主将)や祐宮(さちのみや=明治天皇の幼名)の教育係を務めました。寺田屋騒動で捕縛され、薩摩に護送される船内で、薩摩藩士に殺害されました。

詩書は、佐藤某の病気見舞いのために贈ったもの。恭堂は河内介の号。
【初公開】雲井龍雄 詩書

雲井龍雄は、天保15年(1844)米沢藩士の子として生まれました。幼少のころから聡明で、江戸に遊学中は桂小五郎、品川弥二郎らと交流しました。戊辰戦争の戦火が東北に及びそうになると薩摩藩の討伐を主張する「討薩檄」を書き、奥羽越列藩同盟の藩に奮起を求めました。
明治3年(1870)、東京に「帰順部曲点検所」をつくり、脱藩者や旧幕臣の帰順を求めて新政府に4度にわたり嘆願書を提出しました。ここに新政府に不満を持つ士族が集まったため政府転覆を疑われて捕縛され、小伝馬町の獄で斬首されました。明治初期、雲井の漢詩は人気があり、特に自由民権運動家が好んだといいます。

詩書は、殺伐とした時代を嘆きながらも腰に差した3尺の刀で世の中を良くしたいという意気込みを詠んだもの。 
 
 
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