霊山歴史館
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      霊山歴史館所蔵 近藤勇「阿州吉川六郎源祐芳」
          産経新聞(東京版)で紹介。埋葬地とともに
 
 

 霊山歴史館が今年新収蔵した新選組局長・近藤勇の愛刀「阿州吉川六郎源祐芳」が産経新聞(5月15日付東京版)で大きく紹介されました。
 記事では、「江戸末期に結成された新選組の局長、近藤勇。戊辰戦争で新政府軍に敗れて処刑された後、その首が葬られた場所は京都説が最有力だが、百五十回忌を迎える今年、一般研究家の調査で福島・会津説が”急浮上”している。幕末資料を多数所蔵する京都の霊山歴史館もこの説を支持し、根拠となる刀を入手、展示している」と紹介しています。
 
 
近藤勇は慶応4年(1968)4月、新政府軍に捕縛され、江戸板橋刑場で斬首の刑に処せられました。その首級は京都三条河原にさらされましたが、近藤と懇意にしていた侠客がその首とともに近藤の愛刀「阿州吉川六郎源祐芳」を会津に持ち帰ったと伝わっています。
 この刀には、大正11年(1922)若松市長に就任した陸軍少将・松江豊寿が記録した伝来覚書が残っています。松江は、会津で葬られた首級と刀の存在を知り、碑を建立したと記されています。松江は大正6年、第一次世界大戦で捕虜となったドイツ兵を収容した板東俘虜収容所(徳島県)の所長となり、捕虜を人道的に扱い、永く尊敬を集めた人物。同収容所で日本で初めて捕虜によってベートーベンの「交響曲第九番」が演奏され、映画「バルトの楽園」の主人公のモデルとなりました。
 記事には
「公益財団法人が運営する霊山歴史館も調査を実施。木村副館長は『京都説は言い伝えられている場所周辺に墓らしき物がない』と指摘した上で、会津説について『一番有力になったのは明確』と話す」と記しています。
 また記事で紹介されている刀剣研究家の権東品氏(新選組刀剣研究家)には、7月17日(月・祝)に霊山歴史館で、夏の特別講演会「新選組局長・近藤勇 首級の埋葬地と刀」と題して講演を行っていただきます。

 霊山歴史館では現在、初夏の企画展「幕末動乱!! 龍馬、新選組」を開催中。150年ぶりに京都で再会した近藤勇の「阿州吉川六郎源祐芳」と土方歳三の愛刀「大和守源秀國」を並べて展示しています。ぜひ実物をご覧ください。




 

 
 
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