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         2015年通年特別展 松陰をめぐる人びと
          第2期「松陰と安政の大獄」
 
   
  至誠をもって対応すればなにごとも動かせるとの信念で、幕政批判を行った吉田松陰。折からの安政の大獄で江戸送りとなり、安政6年(1859)10月死罪となりました。30年の短い生涯でしたが、松陰の思いは多くの弟子に引き継がれ、明治維新へとつながりました。
  第2期では、安政の大獄をはじめとする幕末の動乱を多くの資料で俯瞰し、松陰と周辺の人びとの志と行動を探ります。

  


展覧会             2015年 通年特別展
          松陰をめぐる人びと
      第2期「松陰と安政の大獄」
期 間 2015年3月17日(火)〜5月17日(日)
休館日 4月6日(月)、13日(月)、20日(月)、5月11日(月)
開 館
時 間
・3月17日(火)~4月5日(日)、4月24日(金)~5月6日(水)
  午前10時~午後6時30分
・4月7日(火)~4月23日(木)、5月7日(木)~5月17日(日)
  午前10時~午後5時30分
(入館はいずれも閉館30分前まで)
入館料 大人700円、高校生400円、小中学生300円
(団体料金-20人以上-は大人600円、高校生300円、小中学生200円)
友の会会員は無料(会員証提示)
優 待 クーポン券または本展チラシをご持参いただくと、上記団体料金でご入館できます。
【お願い】 開館日等詳細は変更になる場合がありますのでご来館前に当サイト開館案内カレンダーや電話でご確認ください。電話:075-531-3773

「松陰と安政の大獄」開催に当たって
 吉田松陰は多くのことを書籍から学んだ。そして、その学問を自分自身のものにするために、学んだことをすぐに実行した。九州遊歴、江戸遊学、東北の沿岸視察などで衝撃を受けた松陰は、憂国の志を持ち、それを行動の原動力に変えていった。幕府も各藩も大変な財政難で、各地の海岸防備は形ばかりで機能しておらず、外圧に備えられるものではなかったからである。
 山鹿流兵学師範の吉田家を継いだ松陰は、西洋列強に対抗するには、まず相手の実情を知らないといけないと海外への密航を企てた。これは師である佐久間象山が海外への留学生派遣を唱えており、それに応える形で行われることになった。そして長崎へ行き、来航中であったロシアのプチャーチン艦隊に乗り込み密航しようとしたが、松陰が長崎に着いた時には、すでに艦隊は去ったあとだった。
 気を取り直した松陰は、再来航するペリー艦隊に乗り込もうと江戸へ戻り、静岡県の下田から黒船に乗船させてもらい密航しようとした。これを下田踏海という。松陰は国禁を犯してでも海外事情を目の当たりにしたかったのである。
 安政元年(1854)3月27日、松陰と弟子の金子重之助は小舟で黒船に向った。しかし、すでに幕府と日米和親条約を結んでいたペリーは後難を避けようと松陰らの申し出を断った。密航は失敗に終わり、潔く出頭した松陰は江戸伝馬町の獄舎に投獄される。さらに萩に送られ、野山獄に投獄された。
 その後、将軍継嗣問題や日米修好通商条約の締結が幕府の懸案となると大老に就任した井伊直弼は内憂外患の政局を乗りきろうと強権政治を行った。井伊は、天皇の許可である「勅許」を得ることなく条約に調印し、将軍継嗣問題では政敵であった一橋派を退け、南紀派の徳川慶福(家茂)を後継者とした。
 これに対して孝明天皇や公家たち、一橋派の大名らは不満を募らせ、尊攘派の志士たちは幕政を批判した。そして朝廷から水戸藩や幕府に「戊午の密勅」が出され、態度を硬化させた幕府は安政の大獄を断行した。
 安政の大獄では、梅田雲浜ら多くの志士が処分の対象となり、公家、幕臣、諸藩士、儒者、神官、僧侶、農民、商人など約百人が罰せられた。また老中の襲撃を計画した松陰も江戸送りとなり、安政6年(1859)10月27日、江戸で死罪となった。
 今回の展示は、松陰を通して幕末の動乱を俯瞰するものです。展示にご協力いただいた機関、個人所蔵家に心より御礼申し上げます。
                                 平成27年(2015)3月吉日  霊山歴史館
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