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2019年5月15日~「激闘!! 新選組」見どころ紹介
新選組関連の刀など、幕末の刀剣たちが登場!

2019.05.14

戦国時代が終わり、泰平の江戸時代に入ると、武器としての刀の需要は減っていった。その刀が、再び数多く作られたのが幕末だった。
尊皇攘夷運動が活発化し、倒幕派や彼らを取り締まる新選組、会津藩などの間で闘争が繰り広げられると、刀は敵を斬り自身の身を守る武器として重視された。志士たちは寸の長い刀を好んで差し、幕臣の間でも講武所拵えという無骨な拵えが流行した。刀は戦闘に使用すると、折れたり、刃こぼれすることが多く、複数本を所持する者も多かった。

新選組局長・近藤勇の所用刀
「阿州吉川六郎源祐芳(あしゅうきっかわろくろう みなもとのすけよし)」

近藤勇の首級が京都の三条河原に晒された際、下僕がその首と一緒に会津に持ち去ったと伝わる近藤の愛刀。刃紋は直刃(すぐは)で、見るからに武用刀。

新選組副長・土方歳三の所要刀
「大和守源秀國(やまとのかみ みなもとのひでくに)」

大和守源秀國は会津藩のお抱え刀工で、土方はこの刀を愛用し、鳥羽伏見の戦いをはじめ各地での戊辰戦争で使用したと思われる。
表銘には「大和守源秀國(秋月種明懇望帯之)」、裏銘には「(幕府侍土方義豊戦刀)慶応二年八月日(秋月君譲請高橋忠守帯之)」と記されている。

桂 早之助 龍馬を斬った刀

京都見廻組・桂早之助所用の龍馬を斬ったと伝わる刀。
桂早之助は、慶応3年11月15日に醤油商・近江屋の2階に突入した京都見廻組の一人。あらかじめ天井の低い室内での戦闘を予想し、小太刀の名手が起用されました。刀身には無数の刃こぼれがあり、龍馬と斬り結んだ際の壮絶なさまが伝わってくる。

今井信郎 脇差
「山城守源一法(やましろのかみ みなもとのいっぽう)」

京都見廻組・今井信郎が、近江屋にいた坂本龍馬を襲撃した時に帯刀していた脇差。今井は戊辰戦争で箱館まで転戦したが、資金難でこの脇差を手放した。しかし、よほど思い入れの深い刀だったようで、探し出して、数十年後に買い戻している。

岡本健三郎 所用刀
「近江守 源 久道(おうみのかみ みなもとのひさみち)」

岡本健三郎は、下横目という下級警察官の職に就き、慶応3年(1867年)10月には坂本龍馬に同行して越前へ行き、三岡八郎(由利公正)に会見した。また龍馬、中岡慎太郎暗殺の数時間前まで、密談を交わしていた。久道は山城国の刀工で、延宝年間(1673年~1681年)に活躍した初代から、江戸時代を通じて栄えた。